がんにかかったときの二つの生き方  がんにかかったとき、人間の生き方として二通りの患者像がある。 一つは、本人が病気から目をそむけて医者まかせ、病院まかせにする生き方。もう一つは、患者と医者が一緒になって病気を理解し、後悔しないための治療の受け方を自分で考える生き方。  どちらかといえば、がんを怖れる悲観的な生き方は前者に多く、自分で頑張ればなんとかなると楽観的な生き方が後者には目立つ。どちらの道を選んでも人生の現実が変わらないのなら、自分の体のことだから、そう簡単に「おまかせします」とは言わずに、むしろ、医者のかかり方を学ぶべきではないか。\私がそう思うのは、がん患者の生き方を実際に見てきたからである。  ある数年間、何度も足を運んだ取材先の病院で大勢の患者と語り合い、私ぱ不躾な質問を繰り返した。彼らはがんを知っていた。  「がんを知った瞬間、あなたは本当に冷静でいられましたか?」  その瞬間の感じ方は、それぞれに違う。人間の生き方が多種多様であるように、命の危機を悟った時の身の処し方はきわめて個性的である。人知れぬ葛藤は心のなかで渦巻いたにちがいないが、がんを知ってむやみに脅えるような患者の顔ばかりではなかった。  六十二歳のO氏は定年退職後、「大腸がんおよび転移性肝がん」と診断された。「あの瞬間、(額に手をやり)ここが真っ白になりました。いやあ、まいったなというのが正直な気持ちです」実直で生真面目そうなこの人は、もう自分は三、四ヵ月の命だなと観念した。しかし、大腸がんで手術をする人の二割から四割は相当進んだがんで、肝臓に転移しているケースも珍しくない。手術でがんが治る確率も五分五分だと医師から聞かされると、内心の衝撃は少しやわらいだ。  直腸部分のがんの初回手術は約九時間、その二ヵ月後には、肝臓の転移病巣と腸の癒着 を剥がす手術で十六時間かかった。二度の大手術を乗り切った直後に、その病室を訪ねると点滴中のO氏は言った。  「まさか六十すぎて、こんな病気になるとは思わなかったです。しかし、なってしまったものは仕方がない。治る可能性が五〇パーセントと知って私も安心し、『じゃ、手術して、取ってください』とお願いしたわけなんです」  このO氏は、その後の六年間余りを元気に暮らして六十八歳で亡くなった。  五十六歳の会社員M氏は、大腸がんステージHを告げられた。 「私の性格上、あれを変に隠されたらくもう助からないなと一人決めしちゃったと思う。 だから、がんを教えられたことはかえって気がラクでした」  別のケースも見てみよう。前年の夏ごろから体重が十キロ減っだ五十五歳のK氏はがんを「三〇パーセント」くらい予感した。そして、がんとわかった直後の心理はこうだ。助からないものを医者が本人に教えるわけがない、オレは大丈夫だ、もっと生きられる。日本人特有の心理を逆手にとった、この人なりの逆転の発想だ。がんの手術から1ヵ月後、勤続三十七年のK氏は職場へ復帰した。  もう一人、酒好きのY氏は、早期の胃がんになる前にアルコール性肝硬変で余命五年を宣告されていた。肝不全寸前の病状を考えれば、胃がん手術の危険率は「千倍高い」と言われたが、五十一歳の彼は手術を望んだ。  「ある程度は(死を)覚悟したね」手術前夜は、さすがに強い精神安定剤を必要としたものの、十時間の手術は成功した。 その翌日、ナースセンター横の個室でY氏はすこぶる元気だった。数年前に離婚した四十七歳の「元女房」とのあいだに二十五歳の一人娘がいて、その年の秋、婚約中の恋人と挙式予定なのだと本人がうれしそうに言った。  「呑んべえの父親でもがんで死んだら可哀相だと思ったのだろうな。手術の数日前、もう 一生会えないと諦めていた娘が婚約者を連れて会いに来てくれた。がんができてよかったなと逆に感謝したね、あの夜は」 残酷ながんと不思議ながん  一説に、仲の良い夫婦ぱ一方ががんになると片方もがんにかかりやすいという。次の、ある夫婦の場合には、夫は残酷ながん、妻は不思議ながんにかかった。  Aさんは九六年四月、夫H氏を原因不明のがんで喪った。五十四歳の若さだった。死因は転移性肝がん。肝臓全体の九割以上をがんに冒されていた。原発巣(がんが最初にできた部位)は不明とされたが、気がついたときはもう手の打ちようがなく、一家の大黒柱の突然のがん死だった。  「私のがんと違い、主人は、発見から1ヵ月足らずで亡くなったんです」  とAさんは言った。夫の命をがんに奪われたとき、実は、彼女自身が大腸がんと闘っていたのだ。妻の発病は夫より三年早かった。しかし、手術を拒否して別の方法でがんを治そうとした。一種の代替療法だ。彼女の生き方を私の医療記事に綴ったのは、あとで考えればH氏の発病一ヵ月前の時期に当たる。奇遇としか思えない人生の出会いであった。  発病前のH氏は、がんを病む妻に向かって「がんばれよ」と励ましつづけてくれた。なのに、心やさしいその夫がいつの間にか手遅れの進行がんに蝕まれていたのだ。発病二十四日後、彼は帰らぬ人となった。ホスピスに入所して三日目の死だ。数週間後、ご主人の訃報を知らせる電話が私のもとにあった。  「私より先に主人ががんで逝ってしまいました。本当に心配ばかりかけて私が主人を殺したようなものです」  電話の向こうで、Aさんは激しく鳴咽して自分を責めた。私には、慰める言葉もなかった。しかし、夫に先立たれた精神的な衝撃がよほどこたえたのだろう、それから半年後の同年九月、自宅で倒れたAさんは救急車で地元の病院に担ぎ込まれた。  「うちの母は、がんです」と、付き添った娘二人が医師に告げ、大腸カメラ検査が行われた。肛門から十数センチ奥、腸の内壁にがんが気味悪く隆起し、病巣の一部は破れて真っ赤な血が流れていた。四十度以上の高熱がっづき一時は容体があやぶまれた。  「娘たちの話によると、先生は、『お母さんが手術で助かる確率は五パーセント程度、九 五パーセントは絶望的です』とおっしやったそうです」  緊急入院から一週間後、外科医によるがん手術は五時間以上かかって成功した。運のいいことに、丸三年間も大腸がんを放置したのに他臓器への転移は見られなかったという。  「私は、昨年十一月にお医者様と完全に手が切れました。がんになって丸八年、私は元気です。人生これからです」  Aさんの年賀状が私の手元に届いたのは二〇〇二年の正月のことだ。夫の命を奪ったがんと違い、彼女のがんは于術後五年間再発もなく、完全に治ってしまったのだ。 「がんは三年一組」 がんが怖いと感じる人は今も多いが、自分がそうなった時の医者のかかり方をどこまで知っているか。「私は熟知している」と言いきれる人はあまりいないはずだ。時間がない、面倒臭い、なんとなく怖い……と、健康に対する過信以外に、やぱり、がん恐怖症的な心理が先に働く中高年も少なくない。  統計的には、がんになるのは日本人の二人に一人だ。人生の運という意味で、五分五分の確率をどう読むかはその人の考え方にもよるが、がんで苦労をしたくない人は、次のがんの三原則を心得ておくべきだろう。 がんの原則@ がんには二通りあって、治るがんと治りにくいがんがある↓がんイコール死は大きな誤解である。 がんの原則A 一定レベル以上の病院で治療を受ける↓水準以下の治療では治るがんも治らないことがある。 がんの原則B がん克服の第一歩はがんを正しく知る↓自分が闘うべき敵の正体を知る。

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